日本語史講義ノート
執筆者: 京都産業大学名誉教授、
タラス・シェフチェンコ記念 キエフ国立大学文科大学日本語学科客員教授 植村 進
Ⅰ.日本語はどのような言語か
今から『NHK日本語なるほど塾』2004年8月号を参考に、日本語はどういう言語か紹介したいと思う。日本語はどのような言語か、一言で言えば、ごちゃまぜの言語ということである。「和語」あるいは「やまとことば」(主として、ひらがな)や漢語(漢字)、横文字(ローマ字)、カタカナ語それに若者ことばがごちゃまぜになった言語である。
困ったことに、現在おかしなことばが氾濫している。とりわけテレビのコマーシャルには、ローマ字が氾濫している。映画の題名も昔は、「望郷」とか「終着駅」、「花へんろ」のようにわかりやすい題名であったが、今の映画の題名は、「バブル・フィクション」とか「マトリックス」と言った横文字が多く、題名からはどのような映画か想像もつかない。なんの意味か分からなくてもどこかカッコイイと思っているのかもしれない。
カタカナ語の例としては、「IT機器」(アイテイ機器)、グローバル時代、ボーダレス社会、ベンチャービジネス、ユビキタス*、スケールメリット、コンソーシアムといくらでもあげられる。
*ラテン語(つねに遍在するの意)
そこで最近、国立国語研究所は、こうした外来語の適当な日本語への言い換えを提案している。たとえば、デイサービスを「日帰り介護」というように。
漢語の多用も問題である。 政治家はよく「前向きに検討します」とか「私どもは状況判断に問題があったと認識しておるわけでありまして、遺憾の意を表します」とか、難しくて、しかも意味のよく分からない漢語を使う。これでは、彼が、本当に問題の解決に取り組むのか、また「ごめんなさい」とあやまっているのかよく分からない。
若者ことばになると、一層分かりにくい。たとえば、「ナゴヤジョウ」。「ナゴヤジョウ」と聞けば、大抵の人は、金の鯱(シャチホコ)で有名な名古屋城のことだと思う。ところが彼らの言っている「ナゴヤジョウ」は、「名古屋嬢」のことである。つまり、「すこしおとなしいが、ブランドの小物をさりげなく身につけ、ある種の派手さを強調する女の子」の意味に使っているのである。ついでに若者ことばを列挙すると、ゴーコン(合同懇親会もしくは合同コンパ)、イケメン、その反対語のブタメン、チョー(超)「チョウ早い」、と言った具合である。さらに、マジ(ホント?の意味で)などなどたくさんある。若者は、どうも、こうしたことばを使って、フィーリングを楽しんでいるようだが、こうしたことばは、大部分、現れては消えていく運命にある。
ところで、日本語は、このように、やまとことばや漢語、カタカナ語、若者ことばが用いられるのは、日本語が、言語類型的に膠着語であるからだ。ウクライナ語は、屈折語で、語は、実質的な意味を示す語幹と文法関係を示す語尾とからなっている。中国語は、孤立語で、語順が重要な意味をもっている(我 愛 她 - 她 愛 我, Wo ai ta - Ta ai wo)。ところが、日本語は実質的な意味を示す語、自立語*と文法関係を示す語、付属語*からなっている(私は彼女を愛している-彼女は私を愛している)。日本語では、付属語という名がついているが、テ、ニ、オ、ハはやまとことばで、しかも、とても重要で、文の骨格をなしていて、それらのあいだにいろんなことばをはめ込むことができる。いわば鋳型のような役割を果たしている。
*自立語
単独で文節を構成する語。すなわち、名詞・代名詞・動詞・形容詞・副詞・連体詞‘(たとえば、「あらゆる」「小さな」など)・接続詞、たとえば(「そこで」、「だが」など)・感動詞(感動:「ああ」・呼びかけ:「ちょっと」・応答:「いや」「うん」)・あいさつ:「おはよう」・掛け声:「やっこらさ」)(『新総合図説国語』396頁参照)。
*付属語
自立語に付属して、文節を構成するもの。すなわち、助動詞:たとえば、「なり(ダ、デアル)」「たり(ダ、デアル)」「です」「ます」「れる」「られる」「せる」「そうだ」など・助詞:テ、ニ、オ、ハなど・接続助詞:「ので」「から」など・終助詞:「またね」の「ね」など(『新総合図説国語』398頁参照)。
このテ、ニ、オ、ハのおかげで、4世紀に漢字が入ってきたときもそうであるが、欧米から「modern societyにおけるindividualのloveについてreasonable なdiscussionを….」といった語がはいってきたときも、アルファベットの語を近代社会、個人的恋愛、理性的、討論といった語におきかえて、それを テニオハの鋳型の中にはめこんでうまく処理してきた。このようにして、明治の激動期も乗り切ってきたのである。
このようなわけで、日本語が膠着語であるからこそ、ごちゃまぜの言語になっているのであるし、また逆に、このような鋳型のおかげで、漢字やカタカナ語、ローマ字、おかしな若者ことばが多少氾濫しても、日本語の骨格はしっかりしているので、日本語の将来についてそんなに心配する必要はないだろう。
なお、作家の五木寛之氏が、2004年7月19日付の朝日新聞に掲載された「カレーもいろいろ」という随筆のなかで、「日本文化は五目チャーハンである… 私たちは、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、そしてアラビア数字、ローマ数字、漢数字などをタテヨコ自在に使いこなして読み、かつ書く民族である…」と書いていて、若者の絵文字の使用にも触れている(2004年7月19日、朝日新聞掲載「みみずくの夜メール、五木寛之『カレーもいろいろ』」を参照)。
Ⅱ.日本語はこうして作られた(日本語の形成)
1.旧石器時代末期、無土器文化の時代(1万年~20万年前)日本列島は大陸と陸続きであった。この頃には日本列島にはすでに人が住んでいた。 彼らには文字がないが、自分の言葉で、身体、食物、動物、植物、天体、狩猟、血縁関係、神話、伝承などについて語り、お祈りをし、呪文を唱えたりしていた。
2.日本語の系統
かつて日本語はアルタイ諸語(満州トウングース語・蒙古語・チュルク語)の系統であると言われていた。しかし、今ではマライ・ポリネシア系の南方諸語との関係が深いと言われている。まだ分からないことが多く、結局、原始日本語は20万年ぐらい前からはじまり、いろんな民族の言語が混交してできあがったと考えられる。そしてその後アルタイ系の言語や朝鮮語がさらに加わって出来上がったと考えてよい。 世界には、5000以上の言語があるが、日本語は、どうもこれらの言語から孤立しているらしい。単語がたまたま似ていても(たとえば、‘деньги’と銭)、同系とはかぎらない。本来の日本語の数の数え方は、「ひとつ、ふたつ、みっつ」、で、「いち、に、さん」は中国起源の語である。いち、に、さん があっても、日本語は中国と同じ系統であるとは言えない。中国語は孤立語で、日本語は、膠着語であるからだ。高句麗のことばのなかに数の数え方で似たところがあるので、注目されている。日本語にもっとも似ているのは、沖縄のことばで、それ以外に日本語と似ているのは高句麗や百済のことばである。したがって日本語は朝鮮語をつうじてアルタイ諸語とつながっていると考える学者が多い。しかし、日本語の系統については、さらに詳しい検討が必要である。
3.漢字の伝来
応神天皇16年(372年)に百済から渡来した王仁が論語(Луньюй)と千字文(1000 иерогрифов)とを伝えた。こうして中国の漢字が日本に入ってきた。しかし、中国の光武帝が57年に日本の支配者に金印を与えたと言う記録があり、実際に、それが九州で発見されている。こういうことが、他にもあるが、一般には、372年に漢字が日本に伝えられたと考えられている。 そして、漢字をつかって、712年に古事記が、720年には日本書紀がつくられた。
759年からは万葉集の編纂が始まった。このようにして、日本文化が一斉に開花する。
4.万葉仮名
先週、私は、今の日本語は、ごちゃまぜの言語だと言った。それにはさまざまな背景がある。そのプロセスを見てみよう。
はじめ、日本には文字がなかった。そこへ漢字が伝えられたのである。
私たちの祖先は、なんとかしてこの漢字を自分のものにしようとした。最初、彼らは漢字の字音を借りて日本語を書き表そうとした。それが音読みの万葉仮名である。
また、やまとことばでは「ひ」は天上の太陽「日」と地上の「火」を意味したが、意味によって、漢字を使い分けた。太陽のときは日、火のときは火という字を使った。それに「ひ」と言っても、日と火とでは、少し発音が違っていたらしい。こうしてかれらは漢字を甲類と乙類にわけて使った。
たとえば、音読みの万葉仮名の例としては、
余能奈可波牟奈之伎母乃等志流等伎子伊与余麻須万須加奈之可利家理
(「万葉集巻第五」七九三)
よのなかはむなしきものとしるときしいよよますますかなしかりけり
(意味-世間は空であると真に分かったとき、いよいよますます悲しい思いがする)
これは大伴旅人が妻をなくしたときに詠んだうたである。こんなに字画の多い漢字を使わなければならなかった。それで、彼は、一層悲しい思いをしたにちがいがない。
そこでかれらは、漢字の意味を日本語に置き換えて、日本語で読む方法を考案した。これが訓読みである。
たとえば、訓読みの万葉仮名の例*としては、
長春日乃晩家流(「万葉集」巻第一 五の一部)
ながきはるひのくれにける(意味- 春の長い一日が暮れてしまった)
*巻末付録注を参照されたし。
しかし、これでも大変だ。そこで、彼らは、もっと字画の少ない独自の文字を作った。漢字の字体をくずしてつくったのが「ひらがな」で、漢字の一部を用いて作ったのが、「カタカナ」である。
たとえば、 「安」→「あ」-ひらがな
「伊」→「イ」-カタカナ
ここで、もう少し詳しく、古事記や日本書紀、万葉集、ひらがな、カタカナについて触れておく。
古事記-現存する日本最古の歴史書。3巻。著者は稗田阿礼。712年にできた。上巻、中巻、下巻からなる。この本は、日本最古の出来事を記録したものであるが、このなかには神話や伝説、多くの歌が収録されている。どちらかといえば、天皇を中心にして日本統一の由来を物語った物語である、と言える。「ふることぶみ」とも言う。*
*巻末付録注を参照されたし。
日本書紀-奈良時代の720年に完成。日本最古の正史。全30巻。漢文で書かれている。日本紀とも言う。
万葉集-世の中のすべての歌を集めたもの、と言う意味で、現存する日本最古の歌集。20巻。仁徳天皇の皇后の歌をはじめとして、759年までの359年間の長歌・短歌など約4500首と漢詩なども収録している。編集は大伴家持の手を経たものと考えられている。*
*巻末付録注を参照されたし。
万葉仮名-すでに6世紀の固有名詞の表記に見られる。奈良時代の国語表記として用いられた。とりわけ、万葉集に多く用いられた。それで、万葉仮名と言われる。万葉仮名は、漢字の意味を離れて、主としてその音を利用している。
ひらがな-平安時代に漢字をくずして作った音節文字。*たとえば、安→あ、以→い、宇→う、久→く、己→このように。もちろん男性も用いたが、主として女性が用いたので、はじめは 女手(おんなで)と呼ばれていたが、後に「ひらがな」と呼ばれるようになった。なお、漢字は別名、まな(真名)と呼ばれ、仮名の方は、仮の名と呼ばれるようになった。
*巻末付録注を参照されたし。
カタカナ-カタカナのカタ(片)は、一部という意味。漢字の一部をとって作ったからである。
たとえば、阿→ア、伊→イ、宇→ウ、久→ク、己→コといったように。*
できたのは、平安時代。今では、主として外来語、擬音語などの表記に使われている。
*巻末付録注を参照されたし。
5.漢字とひらがな。ここで漢字とひらがなの使用をめぐって、菅原道真*と紀貫之*とあいだで論争があったことを紹介しておく。日本語が現在の漢字が仮名まじりの日本語になるうえで、重要な出来事であるからである。
*菅原道真-平安時代前期の貴族・学者。京都の北野天満宮に学問の神様としてまつられている(845-903)。
*紀貫之-平安時代前期の歌人・歌学者(868頃-945頃)。
さきほど述べたように、彼らは、字画の多い漢字よりももっと楽に日本語を書いたり、読んだりすることできるように、ひらがなを作った。そして、ひらがなは、女手(おんなで)と呼ばれ、主として女性がつかっていた。9世紀に紀貫之は、女装までしてこのひらがなを普及させた。これにたいして菅原道真は、漢字の使用を強く主張した。漢字とひらがなの使用をめぐってはげしい論争がおこなわれたのである。
紀貫之は、今日使われている漢字仮名まじりの日本語を定着させ、日本語を発展させるうえで、大きな進歩的な役割をはたした。しかし、漢字は分析力をもち、造語力をもっていて、日本語を論理的にし、豊かなものにするうえで、重要な役割を果たしてきた。たとえば、やまとことばではただ「ひ」と言っていたのを漢字では「日」と「火」に、また「はし」は「箸」と「橋」、「端」と言ったように使い分けることができるし、車からたとえば新車、中古車、車庫、駐車場、車間距離、国産車、外車、対向車といったふうに、つぎつぎとあたらしい語を容易につくりだすことができる。
このような便利な漢字をもっと活用しようと、日本人は、自分たち自身でも漢字をつくった。たとえば、とうげ(峠)、つじ(辻)がそうである。漢字は表意文字であるので、字を見れば、その意味がすぐに分かる。峠は、山の上りと下りの境目であり、辻は、道路が十字になっているところ、と言った具合に。
またひらがなだけでは読みにくいので、漢字かな混じり文が用いられるようになり、平家物語にみられるように和漢混交文といった文体も生まれた。*
*
巻末付録注を参照されたし。
江戸時代初期には、ポルトガルや スペインから*、そして明治時代になると、西欧から新しい概念があいつで入ってきた。そこで学者たちは、漢字の知識をフルに使って、術語をつぎつと作った{金田一春彦著『日本語 新版』(上)79頁}。たとえば、「哲学」、「経済」、「社会」、「概念」、「具体」、「抽象」、「定義」、「本能」などである。そしてこれらの和製漢字の一部は、逆に中国へ入っていったのである。*
したがって、漢字の役割も大きく、両者の主張には、それなりの意味があり、いまではどちらが間違っていて、どちらが正しいと言うことはできない。
* 1. この他、日本から中国へ入った和製漢字としては、歴史、革命、貿易、美学、思想、表現、主義などがあり、また、取引、取締、相手、手続、取消、場合などは、中国で中国語の読み方で用いられている。 *2.日本から欧米へ出ていった日本語の単語としては、bonze(坊主)、saque(酒)、 soy, soya(醤油)、mikado(帝)、ginkyo(いちょう)、harakiri(切腹)、tycoon(大君)、samurai(侍)、musume(娘)、kimono(着物)、geisha(芸者)、shibui(渋い)、ukiyoe(浮世絵)、netsuke(根付)、shoji(障子)、tatami(畳)、origami(折紙)、urushi(漆)、mogusa(艾)などがあり、また、アメリカのTimeやNewsweekなどでは、「親子心中」、「いじめ」、「浪人」、「塾」、「用心棒」、「黒幕」、「茶」、「焼鳥」、「義理」、「柔道家」、「黒帯」、「寿司」、「すき焼き」などの語が用いられている、と言う。 *3.なお、江戸時代初期にポルトガルや スペインから日本に入ってきた語が若干ある。
「17世紀30年代から日本は、閉鎖国家になった。そしてそのことは、当然この時期の日本語にも痕跡を残さないわけにはいかなかった。最初のころのヨ-ロッパ人(ポルトガル人)によって持ち込まれた、または日本自体でロ-マ字で出版された本の焼却ややがて行われることになる外国人迫害は、16世紀終わりから17世紀初めにかけて当地に入ってきたポルトガルやスペイン起源の若干の語の一部を民衆の記憶から消し去ってしまった。残ったのはいくつかの言葉だけだった。すなわち、日本人にとって新しい物の名称で、次のような翻訳借用語である。'teppo:'(鉄砲 文字通りには、鉄のカタパルト)、直接の借用語としては、'tabako'(たばこ)、'pan'(パン)'kasutera'(カステラ)、'kompeito'(コンペイト)、'karuta'(カルタ 遊び用の)、'botan' (ボタン))、'kappa'(カッパ)、'biro:do' (ビロ-ド)、'kanakin' (キャラコ)、'karusai' (ポルトガル語carusea 短い毛糸)、'rakken'(オランダ語 laken 毛糸)、'meriyasu'( スペイン語mediasメリヤス)、'rasha' (ラシャ)、'sarasa'(紙織物 近松浄瑠璃集上169)、'saraze'(サ-ジ 近松浄瑠璃集上332)、'sutamen' (オランダ語 stammet 半ウ-ルの織物)、'zubon' (ズボン)など若干」(スィロミャートニコフの『近世日本語の進化』11頁)。
Ⅲ.やまとことば(和語)
今度は「やまとことば」の研究では第一人者である中西進氏*の『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』という本を参考に、「やまとことば」について具体的に述べてみたいと思う。「やまとことば」は、本来の日本語であるので、これを知れば、日本人の思考や感情の根本のところを理解できるのではないかと思う。
*中西進、昭和4(1929)~。東京都生まれ。万葉集を中心とした古代日本文学研究家。『万葉集の比較文学的研究』(昭和38)など。日本語ならびに日本文化についてわかりやすく論述。
「やまとことば」であるが、漢字の読み方に音読みと訓読みがあるが、訓読みがほぼ「やまとことば」と言っていいだろう。ところで、「は」は、漢字で書けば、「葉」、「歯」、「端」となるからといって、別扱いにしようと考えないことだ。「は」は、これらすべての漢字の意味を含んでいるからである。
次に、訓と思われているものにも「やまとことば」ではなく、外来語のものがあるので、それは除外しなければならない。たとえば、学校ではウメが訓読みで、バイが音読みと教わっているかもしれないが、ウメはバイの訛ったもので、どちらも中国からの借用である。 麦は音読みでは、[baku]、訓読みでは、[mugi]と読む。しかし[baku]も[mugi]もともに中国からきたものである。〔b〕と[m]は、ともに両唇音で、[k]と[g]も調音位置が同じで、子音交換の結果、[baku]が[mugi]となった。麦はもともと日本にはなかった。日本にもっとも古く入ってきたのが、呉音[baku]*で、後に漢音*が入ってくる。呉音の[b]は、漢音では[m]に変わる。このようにして[baku]が[mugi]に変わっただけである。
*
呉音は、6~7世紀に伝わった三国時代(3世紀)の呉(長江下流地方)の発音(南方言)。灯明(トウミョウ)、経文(キョウモン)、行列(ギョウレツ)など。仏教関係の語に多く見られる。
*
漢音は、8~9世紀に遣唐使らによって伝えられた唐時代(7~9世紀)の長安や洛陽地方の発音(北方言)。明白(メイハク)、歩行(ホコウ)、請求(セイキュウ)など。
同様な変化は、馬場[baba]→駿馬[shunme]、煙[keburi]→[kemuri]、寂しい[sabisii]→[samisii]にも見られる。また、紙も中国で発明されたもので、当時の日本では木や竹を平らに削ってつくった「簡」がすでに渡来していたので、その上に字を書いていた。いわゆる木簡、竹簡である。そこで、日本人は、紙[si]が入ってきたときに、簡[kam]に[i]を加えて、紙[kami]とした。同様に、文[fumi]も文[fum]に[i]を加えて[fumi]と訓読みにした。したがって、ともに訓読みでも「やまとことば」ではない。
かく
しかし、ひらがなで意味のよく分かる訓読みは、ほぼ「やまとことば」と言ってもよいだろう。漢字はとても分析的で、造語力があるが、功罪相半ばすると考えてよいだろう。問題は、漢字が、本来日本語がもっている働き、意味のゆたかさを奪ってしまっていることである。たとえば、日本語の「かく」は漢字で(書く、欠く、掛く)とさまざまに書き分けられるように、さまざまの意味を含んでいる。「かく」と言う言葉は、文字や絵を描くときに用いるが、まだ紙や、木簡、文字のなかったときから用いられていたと思われる。彼らは、絵や文様を縄文の土器に、何か先の尖ったもので粘土を「ひっかいて」描いたのだろう。したがって「かく」は、もとは「ひっかく」という意味だったのである。そのように考えると、琴を「掻き(kaki)鳴らす」の「kaki」も、爪で、なにかを動かす場合の接頭辞として使われることの理由がわかる。
はし
もともと「はし」は、「箸」、「橋」、「端」のように間のあるものを意味する語として使われていた。鳥の「くちばし」もそうである。このよういに「やまとことば」の「はし」はゆたかな意味をもっている。
め、はな、み(み)
ところで、古代人は、顔を体から独立した別個の生命体と考えていたようである。つまり、め「芽(目)」をだしたり、はな「花(鼻)」を咲かせたり、み「実(耳)」を結んだりするものと考えていた。
からだ
今度は、からだの話に移ることにしよう。
「からだ」は、「から」(幹)+「だ」(接尾辞)からなる語である。 からだのことを「み」(身)とも言う。からだは、木の幹がのびて成長していく具体的なものを指すが、「み」(身)のほうは、精神的で、象徴的な存在を意味する。み「身(実)」は、努力して実を結ぶものなのである。「身からでた
」、「身の上話」の場合も、身がその人自身の中身の意味で使われていることがよく分かる。
て
さて、体から手や足が突き出ているが、古代人は、「手足」のことを「えだ」(枝)と呼んでいた(古事記)が、奈良時代になると、「手」、「足」と呼び分けるようになった。しかし、「手」は、具体的に手を示すものではなく、「長くのびるもの」の意味に使っていた。たとえば、「右手」、「左手」、「行く手」の場合も、「て」は、たんに「その方向」とか、「辺り一帯」の意味で使われている。風も「て」と言う。疾風のことを「はやて」と言うように。「火の手」もまたそうである。これも、「ながく延びるもの」と言う意味で使われている。
つめ、つま、ずま*
つぎに、手足の「つめ」(爪)であるが、これは「おしまい」の意味である。爪は、手足の末端にあるので、このように呼ばれた。詰将棋の「つめ」も、これでおしまいにしてしまう、と言う意味であるし、橋詰も橋のたもと、橋のおわりだからそう呼んだのである。
さらに、爪[tsume]が[tsuma]と母音交換がおこなわれ、「つまさき」(爪先)、「刺身のつま」のように、刺身のパートナーの意味に使われる。「いなずま」(稲妻)*ということばも生まれているが、これも稲のパートナーの意味で使われていることが分かる。
*
稲妻の妻は漢字からすれば、「づま」となるが、これは当て字とみているのか、かなの場合、「ずま」と書かれている。
ち
私たちの体に流れている血「ち」であるが、これは、不思議な力のあるものを指すことばであった。雷「いかずち」、大蛇「おろち」の「ち」もこのような意味で使われている。体の中を流れている血も、「不思議な力」の最たるものであった。「ちから」も(「ち」+「からだ」)からなり、「からだにやどる不思議な力」を意味していた。さらに古い日本語では、乳を「ち」と言っていた。「たらちねの」は、母の修飾語(枕詞)であるが、「たら」は、(「たる」から来ていて、「充足した」)、「ち」は、乳、「ね」は、不動のものという意味である。したがって「たらちね」は、「充足したお乳をもっている不動のもの」の意味である。木の根(ね)も山の嶺(ね)の「ね」も不動のものなのである。「ち」が二つかさなると「父」となるが、父は、さらに不思議な大きな力をもっていると考えられていたのかもしれない。このように「やまとことば」では、「ち」という1音節の語で、血、父、乳を表わすことができる。「やまとことば」は、実にたいした力をもったことばである。
け
「み」(身)、「て」(手)、ち(血)など1音節の語は、日本語のなかでももっとも古い語で、しかも基本的な語である。身体を指す語に、「め」や「み」など1音節の語が多いのもこのためである。
たとえば、「け」は、体を覆っている毛であるが、この毛は「ぼんやりと漂うもの」という意味である。
「けはい」ということばがある。古語では「けはひ」であるが、うしろの「はひ」は、「延ふ」とおなじで、長く続くという意味である。それゆえに「けはひ」とは、なんとなく漂っている「け」が、だんだん近づいてくる、そういう状態だとわかる。漢字では「気配」と書くが、「配」はあて字である。「もののけ」の「け」も、毛も「なんとなく全身を覆ってひろがっているもの」である。だから「け」と名づけたのである。髪の毛は、「上のほうにある毛」だから、そう呼んだのである。
「け」は、「か」、「き」と変化していく。たとえば、「かおり」の「か」、「きもち」(気持ち)の「き」もそうである。古語の「かをり」は、なんとなくたちこめている匂いのことである。「かおり」の「おり」は、酒の醸造のことである。
さく、さいわい
幸福感のことを「さいわい」と言う。「さいわい」の古語は、「さきはひ」で、これは「さき」と「はひ」からなっている。「はひ」は、すでに述べたように、けはい(気配)である。前半の「さき」は、花が咲くの「さく」から来ていて、「さく」の名詞形である。このことから、「さいわい」の古語である「さきはひ」は、「花盛りが長く続く」と言う意味になる。人間の心のなかに花が咲き、ずっと続いている状態」を日本人は、幸せと感じていたことがよくわかる。
さかり、さけ、みさき
さかりは、「さか」+「り」で、「さか」は、「さく」の変化した形である。栄えるの「さか」もおなじであるし、酒の「さけ」も「さか」の変化した形である。酒も飲むと、気持ちが高揚するので、「さけ」と呼んだのだろう。
みさき(岬の「み」)は、接頭辞で、「さき」は、陸地の突き出たところである。つまり岬、酒、咲の三つの語は、いずれも語の本来の意味をたどっていくと、ピークやトップの状態を意味することがよくわかる。
かがやく、かげろい
「かがやく」(輝く)と「かげる」(陰る)を現在の日本人は、別のことばと認識しているが、両者は、同じ語からきている。「かがやく」は、光って明るい状態のことであるが、この状態をあらわす語としは、「てる」(照る)ということばもある。しかし、「てる」が明るい状態を保ち続けるのにたいして、「かがやく」には、「明滅する」という意味がある。「明るくなったり暗くなったりしながら光がきらきらと変化する」ということである。「かがやく」と似たことばに「かがよう」、「かげ」、「かがみ」(鏡)、「かぎろい」という言葉がある。これらのことばは、光や炎が揺らめく様子を言い、光の屈折と関係のあることばである。
「かぐや姫」の話は、有名である。ウクライナ語訳の『最良の日本昔話25話』にもこの話が掲載されているが*、これは、竹の節(ふし)から生まれた絶世の美女であるかぐや姫が、帝(みかど)や数々の男の求婚を拒んで、最後は天へと昇っていく話である。
*拙訳の『25 Кращих Японських
Казок』206頁、Кагуя-хіме-діва місячного сяйваを参照されたい。
ところで、彼女は、なぜ「かぐや姫」と名づけられたのだろう。「かぐ」は、「かがよう」の語幹「かが」の変化した形である。かぐや姫の美貌を耳にした帝が、初めてかぐや姫を訪れたときには、彼女は「光あふれて、清らかに」座っていたが、帝が彼女を宮中に連れも戻そうとすると、「さっと見えなくなって」、消えてしまう。そこで、もとにお戻りくださいとお願いすると、また姿を現した。これこそ光の明滅である。このことから「かがよう」の変化した「かぐや」と名づけられたのである。「かげる」は、光がさえぎられて暗くなることで、暗くなったところを、「かげ」(陰、影、蔭)と言うが、光によってまた姿をあらわす、という意味をふくんでいる。
これまで、中西進氏の上述の本の内容の一部を紹介してきたが、同氏は、同書の中でさらに「ひ」(日と火)、「ひがし」と「にし」、「はる」と「ふゆ」、「いきる」など数々の「やまとことば」について、その本来の意味を詳しく述べている。興味ある人は、ぜひ同書を読んでいただきたいと思う。
この本の著者は、「やまとことば」こそ日本人の思考や感情をもっともよく表わすことのできることばで、日本人にぴったりのことばであると、強調している。そして漢字によって、日本人にぴったりの表現がそこなわれている、と危惧の念をいだいている。
紀貫之が和歌を作るときにひらがなを使ったのも、ひらがなを使うと、日本人にぴったりの感情を表現できるに違いないと考えたからだろう。
Ⅳ.日本語の発音
10月2日にキエフ言語大学で、「弟9回日本語弁論大会」が行われた。幸い、その弁論大会で出場者の日本語を聞くことができた。出場者の日本語のレベルはかなり高く、殆どの者は、上手に日本語で話していたが、なかには、聞き取りにくい日本語を話していたものもいたことはたしかである。聞き取りにくい原因としては、日本語の拍、イントネーション、リズムの問題があげられる。そこで、今回はこれらの問題につぃて、日本語の発音の権威である金田一春彦氏の『日本語』新版(上)を参考に、日本語の発音について述べることにする。
1.拍
日本人は、春という語は、ハルから、そして秋はアキからできていて、ハやル、アやキが、発音の最小単位と思っている。明治時代になるまでは、ふつう ハがhaと2音からできているとは思わなかった。日本人が発音の最小単位と考えているハのような一番小さな音の単位が音節、より正確に言えば、拍である。拍は大体かな1字に相当する。ヨーロッパ語とくらべて、日本語の拍は、非常に単純である。
拍は、特別な事情のないかぎり同じ長さで発音する。俳句をつくるときに5、7、5と数えるのは、この拍の数である。
拍はどの言語にもある。たとえば、英語のdogは、1拍である。だが、日本人はこれをドッグと3拍に、springも1拍であるのに、スプリングと5拍に発音してしまう。これは、日本人が自分たちの発音の習慣を勝手に英語の発音にまで当てはめてしまうからである。これでは正しい発音にはならない。
逆に、金田一氏がアメリカで教えていたとき、アメリカ人の学生が、「村雨や晴れて雀の討論会かな」という俳句をつくって、同氏に見せた、という。この場合、アメリカの学生は、「討論会かな」は、トウロンカイカナと8拍であるのに、トウ ロン カイ カ ナと5拍に数え間違いをしていたのである。
日本語の拍はとても単純で、典型的な拍は(1子音+1母音)からできていて、もっとも複雑な拍でも(1子音+1半母音+1母音)からできている。つまり日本語は、CV,* CVの開音節の言語である。西欧語にはCVCの言語が多く、中国語、朝鮮語は、CV、CVCが相半ばしている。ポリネシア諸語は、日本語とおなじくCVの言語である。このため、日本語は、南方系の諸言語と関係が深いと指摘されている。
*
Cはconsonant(子音)、Vはvowel(母音)の略語。
日本語の拍は、CVすなわち、開音節の言語であるが、それとともに、注意しなければならない性格は、ハネル音(撥音、Nで表す)-たとえば、ヒンメイ(品名)の「ン」(cf.ヒメイ=悲鳴)、ツメル音(促音、Tで表す)-たとえば、オット(夫)の「ツ」(cf. オト=音)、引く音(長音、Rで表す)-たとえば、ウイーンの「-」をそれぞれ1拍に数えることである。
それでは、日本語にはいくつ拍の種類があるのか。金田一氏の推定では、112種である。中国語(北京標準語)では411。英語では学者によると、86165にもなると言う。
日本語の拍の一覧表
a i u e o ja ju jo (je) wa (wi) (we) wo
ha hi hu he ho hja hju hjo (hje) (hwa)(hwi)(hwe)(hwo)
ga gi gu ge go gja gju gjo (gwa)
ka ki ku ke ko kja kju kjo (kwa)
ŋa ŋi ŋu ŋe ŋo ŋja ŋju ŋjo
da (di) (du) de do (dju)
ta (ti) (tu) te to (tju)
na ni nu ne no nja nju njo
ba bi bu be bo bja byu bjo
pa pi pu pe po pja pju pjo
ma mi mu me mo mja mju mjo
za zi zu ze zo zja zju zjo (zje)
sa si su se so sja sju sjo (sje)
(ca) ci cu ( ce) ( co) cja cju cjo ( cje)
ra ri ru re ro rja rju rjo
N T R
注:1)( )をつけたのは洋語や感動詞にだけ現れるもの。
2)(hwa)はファである。
3)ŋa, ŋi, ŋu …はカガミ(鏡)・カギ(鍵)のガ、ギのようなガ行鼻音。この音を使わない人もある。
4)ci, cuはチ・ツの音。(ca)はツァ、(cja)はチャ。
5)Nはハネル音、Tはツメル音、Rは引く音。
日本語に拍の数が少ないことは、とても便利である。小学生が学校で、犬はイとヌと書き、猫はネとコと書くことを教わると、今度は、稲はイネ、鯉はコイと書くのだということが直ぐに分かる。英語ではこのように簡単にはいかない。いちいち単語を教わらないと書けないからだ。
しかし、拍の数が少ないことは、逆に欠点でもある。同音異義語*が多くなるからである。たとえば、「はし」である。これは箸なのか、橋なのか、端なのか分からなくなるからである。
* 巻末付録注を参照されたし。
2.アクセント
これ(同音異義語)を区別するのが、アクセントである。たとえば、
東京では、 箸ハシ、 橋ハシ、
京都では逆に 箸ハシ、 橋ハシ となる。
いずれにしても、連続した拍のうちの一方を高く発音する。日本語のように個々の語について拍の発音の相対的な高低関係が決まっている言語を、高低アクセント(pitch
accent)の言語という。これに対して印欧語の方は、単語のどこを強く発音するかどうかは個々の語によってはじめから決まっている。たとえば、abscent(形容詞)、abscent(動詞)。このように個々の語についてアクセントの強いところが決まっている言語を強弱アクセント(stress accent)の言語という。日本語のような高低アクセントを持つ言語としては、中国語、タイ語、ヴェトナム語などがあり、ヨーロッパの言語では、セルボクロアチア、リトワニア、スエーデン、ノルウエー語などがそうである。世界の言語で高低アクセントも強弱アクセントも持たない言語は、フランス語である。
ここで、さらに3拍語の高低アクセントの例をあげておく。
オカシ(岡氏)、オカシ(お菓子)、オカシ(お貸し)、
オヤマ(小山―地名)、オヤマ(女形)、オヤマ(霊山)、
アクセントの機能
日本人が聞けば、高低アクセントのおかげで、次のような文の意味の違いが分かる。
ニワニワニワトリガイル(庭には鶏がいる)
ニワニワニワトリガイル(庭には二羽鳥がいる)
ニワニワニワトリガイル(二羽、庭には鳥がいる)
3.シンタグマ(文節)の問題
さらにシンタグマの問題もある。
1)ムスメニゲタタノム(娘に、下駄、たのむ)(娘逃げた、頼む)
2)シンダイシャタノム(死んだ、医者、頼む)(寝台車、頼む)
3)アサカラルスバンニコイ(朝から留守、晩に来い)(朝から、留守番に来い)
4.日本語のリズム
日本語では、長さが一定している拍が、離散的に(дескретно)続くので、抑揚のすくない、単調な点の連続のように聞こえるかもしれない。
5.日本語の韻文
日本語の韻文では、たとえば蕪村*の句「菜の花や 月は東に 日は西に」のように、シンタグマの最後の「に」をあわせるか、
Nano
hana-ya Рапсовые цветы, 菜の花や
Tsuki-ha higashi-ni Луна на востоке 月は東に
Hi-ha nishi-ni Сольце на западе
(Бусон) 日は西に(蕪村)*
* 與謝蕪村は、江戸中期の俳人(1716~1783)。
1拍の語と2拍の語が多いので、それらを組み合わせて、5,7,5拍とする方法をとっている。
たとえば、
Yagate shinu [Что]скоро умрет, 頓て死ぬ Keshiki-mo miezu По голосу цикады けしきも見えず Shemi-no koye(B,45) Ничуть не слышно 蝉の聲(芭蕉)* (букв. не видно)
* 松尾芭蕉は、伊賀上野に生まれた江戸前期の俳人(1644~1694)。松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭のことばは、人口に膾炙する語で、芭蕉の死後まもなく刊行されたこの作品は、江戸時代を通じてのベストセラーとなった。* *巻末付録注を参照されたし。
6.日本語の音素
さて、日本語は、音節言語であると言われるが、明治以後、日本語がローマ字でも書き表されるようになり、そのうえ、最近の言語学では音素という単位も用いられるようになった。そこで、現在の日本語の音素についても、簡単に述べておく。一般に通用している説によると、
母音 : a , i, u, e, o (5種類)
半母音 : j, w (2種類)
子音 : k, s, c(ツの子音),t, n, h, m, r, g, ŋ(ガ行鼻音の子音、これを用いない人もある),z, d, b, p (14種類)
特殊音素: N, T, R (3種類)
なお、上代の日本語には、8種類の母音があったことが明らかになっている。
上代日本語の母音:a, i, ї, u, e, ё, o, ö (8種類)
しかし、平安時代のはじめに、i, їが一緒になり、e, ёが一緒になり、o, öがいっしょ
なって、現在のようになった。
Ⅴ.日本語の歴史と時代区分
1.時代区分。日本語史の時代区分は、スィロミャートニコフも言っているように、* 政治史的時代区分とさして変わらない区分である。政治の変化は、社会体制の変化であり、それが、直接ではないにしても、言語生活に影響を及ぼすので、ことばの変化をうまく区分する結果になっている。 *「自国語の歴史にかんする日本の学者の研究書では、普通、時代区分が普及している。そしてその場合、何よりも先ず国の権力がある封建領主へ移行した日付が考慮されている」(スィロミャートニコフ、『近世日本語の進化』、p.10)
さらに、時代区分の方法は、それぞれの時代が、それ以前の時代の言語現象と違いがあるかどうかも考慮して区切るという方法をとっている。日本で一般にとられている方法を紹介しよう。
(Ⅰ) (Ⅱ) (Ⅲ) (Ⅳ) (Ⅴ) 上代 上代 1)奈良時代とそれ以前 古代 古代 中古 中古 2)平安時代 中世前期 中世前期 3)院政・4)鎌倉時代 中世 5)(南北朝時代) 中世後期 中世後期 6)室町時代 近代 近世前期 7)江戸時代前期 近世 近代 近世後期 8)江戸時代後期 現代 現代 9)明治以降
1) 奈良時代-奈良に平城京のあった時代。7代の天皇、70余年間を言う(710-784)。 2) 平安時代-桓武天皇の平安遷都から鎌倉幕府の成立までの約400年間。政権の中心が京都の平安京にあった時代(794-1183)。 3) 院政期-上皇が院政を行った時代。白河・鳥羽院政期、後白河・後鳥羽院政期、後高倉・後宇多院政期の3期に大別(1086-1324)。 4)鎌倉時代-源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、1333年に北條高時が滅亡するまでの約150年間(1183-1333)。 5)なお、南北朝時代-1336年に後醍醐天皇が大和の国吉野に入ってから92年に亀山天皇が京都に帰るまでの57年間、南朝と北朝が対立、抗争した時期(1336-1392)。 6)室町時代-足利氏が政権をにぎり、京都の室町に幕府を開いてから第15代将軍義昭が織田信長に追われるまでの約180年間(1392-1573)。 7)江戸時代前期(18世紀前半まで)。江戸時代は、徳川家康が1600年に関が原の戦いで勝利をおさめ、1603年江戸に幕府を開いてから徳川慶喜の大政奉還にいたる約260年間をいう(1603-1867)。しかし、上方語の影響の強かった18世紀前半までを徳川時代前期とする。 8)江戸時代後期-江戸が政治の中心地となり、18世紀後半には、ことばも上方とは違った要素を多くそなえ江戸独自の発展を示すようになった。この頃から江戸時代後期と区別して呼ばれている。
日本語史の時代区分で一般的にとられている方法は、奈良時代語から現代語までを古代語と近代語とに二分する方法である。この方法では、近代語の要素が認めにくい時代と、多く認められる時代とに分け、前者を古代、後者を近代としている。そして古代と近代の過渡期、つまり大きな変わり目を、南北朝時代と考えている。この時代は、貴族や武士が両朝の擁立を名目に、たがいに鋭く対立し、全国をまきこんだ抗争を繰り返した内乱の時代である。当然社会秩序も揺らぎ、農民の交流も全国的規模でおこなわれた。これが言語に大きな影響をあたえ、言語にも変化の痕跡を残すことになった。その結果、上記の時代区分では、中世前期の院政・鎌倉時代までを古代、中世後期の室町時代からそれ以後を近代とする方法をとり、古代と近代をさらにいくつかの時代に細分する方法をとっている。 ところで古代と近代を二分する方法は、いつ平安時代の言語規範がくずれ、いつ現代と共通する要素が現れるようになったかを問題にする。平安時代は、古代語の規範が確立した時代で、物語などでは地の文と会話文とのあいだの語法上の差がなく、言文一致の時代であった。近代的な要素の現れた時期とは、終止形と連体形がひとつになった時期であり、係り結びが乱れだした時期である。
2.日本語の変化。奈良時代以後漢文は、はじめは「人走路, Ren zou lu」という漢文があるとすると、漢文が書かれている語順で「ジンソウロ」といったふうに音読みで読んでいたが、後には、中国語の語順を日本語の語順に変えて、「人が路を歩く」というふうに、テ、ニ、オ、ハをつけて読むようになった。そしてひらがなができ、カタカナができる。このことはすでにご承知のとおりである。 また音韻の面でも古代から近代にいたる間に大きな変化があった。たとえば、papa → фафа → фаwa (語中音のw)→ hahaの唇音退化現象がそうである。奇妙なことに、古代人は母をパパと発音していた。池上彰氏によると、室町時代には、現在の「ハ」は「ファ」と〔zu〕は〔du〕、〔se〕は〔she〕と発音していた(『日本語の「大疑問」』、池上彰、講談社α文庫)。子音ではこれ以外にはあまり大きな変化はなかった。
しかし、日本語の母音には大きな変化があった。神田元一郎氏は次のように書いている。「大野博士によれば、基本母音は、 ア(a)イ(i)ウ(u)の3音。橋本進吉博士『古代国語の音韻について』(岩波)では、奈良時代の国語の音韻は全部で87、万葉仮名は1000以上。また大野博士によれば、古代社会の音の数は4母音、13子音。いろは歌47*以前に「あめつちのことば」48の時代があり、室町時代末期には47、今日では44。アイウエオ五十音の原型となったサンスクリットの音は49あるいは50である。つまりこれはサンスクリットからの借用である。87音韻が47文字に整理されるのに1000年以上かかっている。日本語の母音はアイウエオの5個。基本的にはアイウの3音である」。
*色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず(色美しく照り映えていても いつかは色あせてしまうのに この世界ではいったい誰が 恒常不変でありえよう 変転定まらぬこの世の山を 今日越えてきて 浅はかな夢を見ることはもうしまい そんなことに酔ったりはしない)(『新総合図説国語』407頁)
ところで、奈良時代には、日本語の母音は、a, i, ї, u, e, ё, o, ӧ つまりア、イ甲、イ乙、ウ、エ甲、エ乙、オ甲、オ乙の8種類があったことが明らかになっている。渡辺実氏によれば、「これが5種類に減少する」(『日本語史概説』、渡辺実、岩波書店、1997年)。これは、音節結合法によるもので、現代にはないが、上代の日本語にあった母音調和*の現象である。母音調和では、母音はいくつかのグループにわかれ、それぞれの間には結合制限がある。母音調和の現象は、アルタイ諸語にもあるので、系統上日本語がアルタイ諸語との深いつながりをもつ根拠のひとつとして注目されている。
*母音調和とは、1つの語に現れるすべての母音がある音声特徴(たとえば、円唇母音であるとか前母音であるとかということ)を共有することで、トルコ語、フィンランド語などに見られ、上代日本語にも存在していた。母音調和について(On vowel harmony in Northern Eurasia)、京都産業大学の池田哲郎教授も次のように述べている。 In Hungarian, a Uralic
language spoken in Uzhgorod
or Ungvár in Western Ukraine, there are 7 vowels, i.e. one neutral vowel./i/,
three front or palatal vowels /e/, /u umlaut/, /o umlaut/, three back or velar
vowels /a/, /u/ and /o/. Similar phenomenon is also found in Mongolian. In
Turkish in Turkey, in Karaim, spoken by the Jews in Ukraine and Poland, and in
Crimean Tatar in Ukraine, there are 8 vowels, among which the 4 vowels are
front or palatal vowels as /i/, /e/, /u umlaut/, and /o umlaut/, and the other
4 vowels are back or velar vowels as /y/, /a/, /u/, and /o/. In other words,
horizontal opposition of vowels can be found.
Interestingly in Evenki,
Tungusic language, not only spoken in Siberia near Yenisei river but also in Inner
Mongolia near Amur river, there are 5 or 6 vowels, among which the vowels /i/
and /u/ are neutral vowels, the vowel /ə/ are closed vowels, the vowels /a/ and
/o/ as open vowels. This means that not the horizontal but the vertical
opposition of vowels can be found. Similar phenomenon is also found in the
Written Manchu 8a Tungusic language), the Even (a Tungusic language), Chukchi,
Nivkh or Gilyak, and Ainu languages. .
In Middle Korean, some suggest
that there were 8 vowels having front and back vowels. Recently it is also
pointed out that the harmony in Middle Korean depends on closed versus open
vowels. Therefore we could explain the Middle Korean vowel harmony as vertical
vowel harmony.
In Old Japanese, graphically
there were 8 vowels like /i first type (Ko rui)/ and /i second type (Otsu
rui)/, /e first type/ and /e second type/, /o first type/ and /o second type/,
/a/ and /u/. However their concrete vowel qualities are open to our future
examinations. I hypothesize there existed 5 or 7 vowels in Old Japanese.
ところで、太安万侶の時代には13種の拍があり、古事記では「モ」の区別がなくなり12種の拍に、平安時代には、「コ」1拍だけに甲乙の区別があった。大野晋によれば、これらの母音は本来的なものではなく、本来は4母音であった。そしてこれらは、本来は母音二つからなる合成母音の交換音と推定されている(エ=ア+イ、エ=イ+ア、イ=オ/ウ+イ、オ=イの交換音)。つまり母音は、歴史的には、4母音→8母音(奈良時代)→5母音(平安時代)種と変遷する。
弘法大師作と言われる「いろは歌」は、47拍(47字)であるが、平安時代末期には、ワ行音の[ゐ][ゑ][を]の発音は滅び、文字だけが生きつづける。このいろは歌には清音と濁音の対立が無視されているのが問題である。濁音は清音の変種とみなされていたのかもしれない。
平安時代中期~末期の音変化としては音便がある。
イ音便 ツキタチ (月立) → ツイタチ(1日) 拍の子音脱落
カキテ (書きて)→ カイテ 〃
ウ音便 ハヤク (早く) → ハヤウ 〃
促音便 タチテ (立ちて)→ タッテ 拍の母音脱落
撥音便 ヨミテ (読みて)→ ヨンデ 〃
ただし、ハ行四段の促音便の「思って」が少なく、「思うて」の方がよく用いられた。これは第2拍後(語中)のハ行音はワ行音化した唇音退化現象によるもので、ウ音便によるものではない(omoфite→omowite→omowte→omoute)。
ところで、歌を作る場合に、その方法のひとつとして並列法が用いられた。たとえば、
鳥の声に春を知り(て)、風の音に秋を悟る。
この場合の、「知りて」は、促音便では「知って」となる。
平安時代中期から鎌倉・室町時代をへて江戸時代前期にいたる長い間に、動詞の活用タイプが9種類(古代日本語)から動詞5種類、形容詞1種類(近代日本語)になった。この大きな要因は、平安時代中期から連体終止がさかんに用いられるようになったからである。その用法としては、
名詞句構成 水の流るるを見て
連体修飾(連体法) 流るる水の下
係り結び(終止法) 清げなる水ぞ流るる
連体終止(終止法) 枕の下を水の流るる
係り結びは「強調の終止法」で、連体終止は、体言止めと同じく余情効果を生む。この結果、活用形としての終止形が用いられなくなり、連体形が新しく終止形の役割をはたすようになる。
しかし、このようなおおきな変化の後でも、合理的な説明のできないものも残る。つぎの不規則変化を参照されたい。*
*
*
活用形。 旧ナ変=旧ナ行変格活用
「死ぬ気色」における接合関係は次のとおりである。 語幹=語根(し)+接合形態素(な、に、ぬ、ね)。語幹に接辞もしくは語尾が付く。この場合、「気色」(体言)が接合している。
*
用言とは活用のある自立語で、単独で述語になることのできる単語。すなわち動詞・形容詞・形容動詞のこと。
体言とは自立語で活用がなく、助詞を伴って主語や目的語になる単語。すなわち名詞・代名詞のこと。
このことについては、スィロミャートニコフも、芭蕉の次のような句の「死ぬ」の不合理を指摘している。* これは、言語の変化には長いジグザグな道をたどらねばならないことを示す一例でもある。
Yagate shinu [Что]скоро умрет, 頓て死ぬ Keshiki-mo miezu По голосу цикады けしきも見えず Shemi-no koye(B,45) Ничуть не слышно 蝉の聲 (букв. не видно)
*「文語でも、また第一期の近世日本語でも、ここでは推量法形(shinaN›shino:)でなければならないはずである。その上、shinu はkeshiki (気色)*の修飾語である。したがって、直説法の形式から選択する場合でも、連体形のshinuru としなければならなかっただろう。しかしながら、この文語の不規則動詞で終止形となっているのは、近世日本語では、その動詞が、終止形と連体形の区別がない第一活用の動詞(shin-u)になるからである。(スィロミャートニコフ、『近世日本語の進化』、12頁)」 *スィロミャートニコフは、「けしき」を‘вид’と訳しているが、この「けしき」は、景色ではなく、気色である。したがって、芭蕉の原意をとって、ロシア語訳では‘признак’と書き改めた―筆者。
活用形は整理統合の方向にあり、近代には、現実には連用形と連体形でことたりるようになる。将来は日本語の動詞は、四段・上一段・下一段の3種、活用形は連用・連体の2形になるだろう。また、体言を中心に屈折語化の兆しがあり、用言からは、変化を消そうとする動きが、そして語形無変化の体言では変化を作ろうとする動きがみられる、と指摘する学者もいる。
発音の面では、音便をひきおこした平安時代中期から末期にかけて、ワ行音は、ワを除いて、[ゐ][ゑ][を]の拍が子音(w)を脱落させてア行音化する(院政期)。またすでにワ行音化していた語中のハ行音をまきこんで3系統の音がア行、ハ行、ワ行では区別がなくなる。*いろは歌の47文字は残るが、発音の方は統合される(例。うへ→うゑ→うえ)。
*
ア行音 あ い う え お
ハ行音 は ひ ふ へ ほ
ワ行音 わ ゐ う ゑ を
近代語では「係り結び」が衰退する。「ぞ」「こそ」は、とりたてて強調する係助詞。
近代語では、また、時と推量の助動詞が減少する。
敬語表現の変遷
日本語の場合、敬語表現の文法手段が整っており、敬語表現*の豊かな言語である。
敬語は、話題の人物に対する敬意をあらわす素材敬語と聞き手(話し相手)に対する敬意をあらわす対者敬語とに大別される。「尊敬語」「謙譲語」は素材敬語に属し、「丁寧語」は対者敬語に属している。対者敬語である丁寧語は、素材敬語より成立が新しい。
また、人称や場面にかかわらず、社会的身分などによって、はじめからその人物には一定の定まった敬語を用いるものを絶対敬語と言い、人称や場面によって、話し手の判断で使い方がかわるものを相対敬語と言う。 * 文語の敬語表現については、巻末付録注を参照されたし。
1.
尊敬語
上代には神や天皇に接頭辞「オホミ」をつけて最高の敬意をあらわした。これが中古には「オホン」、中世には「オン」と変わっていく。助動詞では、「給フ」が最も高い敬意表現であった。中世には「マス」「イマス」が衰え、「ル」「ラル」「サス」「シム」が尊敬語として用いられた。
2.
謙譲語・軽卑語
上代には「サモラフ」「給フ」「マヲス」が使われた。中古には「キコユ・キコエサス」「マウス」がさかんに用いられ、「キコエサス」が最高の敬意を表す語であった。これが中古後期には「キコユ・キコエサス」に代わり、「マイラス」が多用されるようになる。
3.
丁寧語
上代には謙譲語として用いられていた「侍り」が、その後丁寧語の性格をもつようになる。「候フ」も謙譲語から丁寧語に転じたものである。なお、「サブラフ」が女性語で、「サウラフ」の方は、男性語であったと言われている。
ところで人物につく格助詞「ガ」は「ノ」より軽卑度が強い。『宇治拾遺物語』*には、「さた」と言う侍が、妻が「さたが衣」と言ったのを「さたの衣」と言うべきなのにと怒った、という話が載っている(敬語の項は、『概説日本語の歴史』、佐藤武義編著、朝倉書店を参照)。 * 宇治拾遺物語
推定1219年成立。作者未詳。世俗説話集。笑話的・庶民的な話など197話を収録。巻末付録注を参照されたし。
なお、中世から近世にかけては、社会的身分、性、階層、年齢などによることばの違いがもっともはげしかった。なかでも貴族・武士・町人・農民は、それぞれ別の言葉を話していた。敬語も多様をきわめた。これについては、スィロミャートニコフの「近世日本語の進化」に詳しく述べられている。
なかでも武士のことばは一番特色があった。「いかが」(=どう)、「さよう」(=そう)、動詞としては「いたす」(=する)、「参る」(=行く、来る)など独特のものであった。これらは現代では丁寧体とみなされるものであるが、武士はいつもこうしたことばを使っていた。
しかし、江戸時代にもっともさかんに使われていた多様な敬語も、封建制度の崩壊とともに次第に単純化し、現代では、敬語のほとんど100%が対者敬語で絶対敬語は用いられなくなっている。
口語体と文語体
日本語に特徴的なもののひとつに文体の対立があった。すなわち文語体と口語体の対立である。
日本語の文語*の骨格をなしているのは、平安時代の京都語である。当時、京都では文芸が栄え、『古今集』*や『源氏物語』*なども書かれ、これが文語の規範となった。10世紀のことである。 *文語
1.
一般的には、書きことば「письменный язык」のことを言う。
2.
しかし日本では、現代の口語にたいして、特に平安時代語にもとづいて発達した言語体系のことを文語と言う。
1945年以後は、文語体は用いられなくなり、書きことばと話しことばとのあいだには多少の違いがあるが、書きことばも、主として現代口語が用いられている。
したがって、日本語の文語のロシア語訳は、スィロミャートニコフのように「старописьменный язык」とするのが適切である。
*
古今和歌集、905年に成立。撰者は紀友則・紀貫之・凡河内躬恒・壬生忠岑(きのと
ものり・きのつらゆき・おおしこうちのみつね・みぶのただみね)。醍醐天皇の勅令による最初の勅撰和歌集。内容としては、冒頭に「仮名序」(紀貫之)、末尾に「真名序」(漢文の序文)をおき、20巻、約1100首(長歌首、施頭歌4首のほかは短歌)を収録。題名の古今の「古」は、万葉集以後の古い歌、「近」は、その当時としては最近の歌を収録したことを意味している。巻末付録注を参照されたし。
* 源氏物語、推定1010年に成立。作者は紫式部。光源氏とその子薫の生涯を軸に多くの女性の恋物語を描く。古典文学の最高傑作。巻末付録注を参照されたし。
文語はこのような古い時代の言語をモデルにしているために一般の人にはかなりわかりにくい。小学校唱歌の「故郷」にある「兎追いし」を「兎は食べておいしい」と解する子供が多い、と金田一氏が書いている。
ところが、この文語体が、1945年の敗戦まで正式の文章であった。官庁語も、法律の条文も、文語調であった。手紙も文語体の一種である「候文」で書くのが正式とされていた。敗戦前、わたしは、学校で、「ゑをかく」(=絵を描く)、「とりゐ」(=鳥居)といった文字をならっていたし、手紙は候文で書いていたのを知っている。
明治時代になってからも、各地の方言の違いのはげしさ、書記言語と口頭言語との大きな違いは、日本語の大きな問題であった。そこで明治のはじめに言文一致運動が起こり、二葉亭四迷、山田美妙、尾崎紅葉らが話し言葉に近い文章で作品を書いた。その結果、そうした文章が次第に普及するようになり、今日の口語文になった。
いまでももちろん、地方方言はあるが、一億二千万人の日本人は、共通の日本語で話し、言文一致に近い文章で手紙を書くようになっている。
Ⅵ.日本語の特徴
1.多様な文字の使用。
さきに述べたように、日本語には、やまとことばのテ、ニ、オ、ハが鋳型の枠のような役割をしていて、そのあいだに、漢字やひらがな、カタカナ、アラビア数字、漢数字、ローマ字*などをはめ込むことができる。このように多様な文字を使う言語はとてもめずらしい。 たとえば、新年の挨拶状も次のようにさまざまな文字を使って書くことができる。
あけましておめでとうございます 初春のおよろこびを申し上げます 謹賀新年 ハピー ニュー イヤー
*ローマ字綴り
ローマ字で日本語を綴ったもの。室町時代に渡来したポルトガル宣教師から始まり明治にいたってローマ字運動(羅馬字会)がおこった。現在綴り方として標準式(ヘボン式)と日本式、訓令式の3種がある。①ヘボン式ローマ字(日本語をローマ字で表す綴り方のひとつ。1885年に羅馬字会が提唱し、ヘボン(James
Curtis Hepburn)が『和漢語林集成』第3版に採用した方式。「シ」「チ」「ツ」はそれぞれ[shi][chi][tsu]となる)、②訓令式ローマ字(日本式とヘボン式とを折衷したローマ字綴り。1930年に文部省に臨時ローマ字調査会を設けて制定し、1937年に内閣訓令で発表。「シ」「チ」「ツ」はそれぞれ[si]、[ti]、[tu]と綴るが、[shi]、[chi]、[tsu]の使用も可)、③日本式ローマ字(明治以来ヘボン式ローマ字と並んでおこなわれているローマ字表記のひとつ。五十音図の各行の子音字を一定にし、音節文字をローマ字2字以内で表す。「シ」「チ」「ツ」はそれぞれ[si]、[ti]、[tu]と綴る。)
2.日本語では主語を用いないことが多い。
たとえば、「私の部屋は2階にある。静かな小さい部屋である」と言う文をロシア語に訳すと、たぶん、‘Моя комната находится на втором этаже. (Это)тихая и маленькая комната.’ ということになるだろう。つまり、この場合、‘Это’という主語を用いるのがふつうである。しかし、日本語では、このように、主語のない文が、よく用いられる。「降ってきたよ」‘It rains’の‘It’も使わない。「急に春めいてきたなあ」、「明日いらっしゃいますか」といくらでも例をあげることができる。「明日いらっしゃいますか」という文では、「いらっしゃいますか」という語法から、これは相手に対する敬語で、主語は、話し相手であることが直ぐに分かる。
3.単数と複数の区別がない。
日本語には、若干の人称代名詞(私たち)を除いて、単数と複数の区別がない。これはとても効率的である。たとえば、「敵がいるぞ」と言う場合、英語では、敵が単数‘enemy’なのか、複数‘enemies’なのかその都度区別して言わなければならないが、日本語の場合はその必要はない。そればかりではなく、「やがて死ぬ けしきもみえず 蝉の声」(芭蕉)、「菜の花や 月は東に 日は西に」という俳句では、日本語に単数、複数の区別がないために、蝉が何匹いるのか、菜の花がどれほど咲いているのか分からない。これが、逆に、読者の想像力をかきたて、すばらしい効果を発揮する。
4.日本語の多様性(位相語)
日本語では、地域・職業・男女・年齢・階級によって、また書き言葉と話し言葉とでは言葉の使い方(語法)に違いがある。そうした違いのあらわれた語を位相語という。
シイロミャートニコフも『近世日本語の進化』という彼の著作でこの問題に次のように触れている。
「『上代日本語』という私の著作に有益な批評を行ってくださったのは、著名な日本語学者の馬淵和夫である。かれの指摘によると、私も含めた、日本人でない日本語学者は、位相 つまり、性別や年齢、日本語を話している社会的状況によるところの言語の違いというものを十分に考慮に入れていないというのである[150,5頁]。この著作では、私は、誰が、誰に、どのような状況でなんらかの文を語っているということをできるかぎり頻繁に指摘するように努めた…」。 そこで、金田一春彦氏の『日本語、新版(上)』を参考に、そうした日本語の多様性について触れてみる。
1)相手による言葉の使い分け
たとえば、上述の本には、「そのようなことはしない方がよいのではないか」といった意味のことを、上京してきた九州出身の人が、電話で、故郷の弟に言うときには、「ソギャンコトワ シェンホ-ガ ヨカタイ」と言う。ところが同じ人が、自分の上役には、「サヨウナコトワ オヒカエナスッテハ イカガデショウカ」とことばを使い分ける、と日本人の語学の天才?ぶりを紹介している。
2)
の
さまざまな人の役を演じなければならない俳優はとても苦労する。「いつ江戸へ来たか」と言うのに、次のようにさまざまな言い方をしなければならないからだ。
「いつ江戸へおいでなされました」-武家も使うが、主として町家。
「いつ江戸へお越しでございました」-武家、町家の女性。
「いつ江戸へ御座った」-父親が息子に言う場合。
「いつ江戸へ御座らしゃった」-母親の場合。
「いつ江戸へ参られた」-武士。
「いつ江戸へ来やしゃんした」-遊女。
「いつ江戸へござんした」―遊女のうちでも位のある太夫。
「いつ江戸へきなさんした」-芸者。
「いつ江戸へござりました」-僧侶。医者。
「いつ江戸へおいでなさえました」-職人。
「いつ江戸へござらっしゃりました」-飯焚。(『言語生活』1960.4)
3)方言の違い
日本語で言葉の違いが一番著しく現れるのは、方言の違いである。関東と関西のことばのちがいは、お互いに聞いて分かるほどの違いであるが、東京や大阪の人が、東北地方の北の方や九州の南の方へ行くと、そこで話されている言葉は、全然わからない。まるで外国語をきているようである。方言の中で、違いが著しいのは、奄美・沖縄方言で、明治維新のころまでは、外国語として扱われていた。沖縄方言で書かれた有名な民謡「かなよ」(=いとしい人よ)を紹介しよう。
カナヨー ウムカジヌ タティバ
ヨーカナヨ ヤドゥニウラリラヌ
リチャヨ ウチテリティ ヨーカナヨ
アンディ ワンラ
この歌の歌詞の意味は、沖縄以外の人には、おそらく分からないだろう。
この歌詞の意味は、次のようなものである。カナヨー(いとしい人よ)、 ウムカジヌ(面影の)、 タティバ(立てば)、 ヤドゥニウラリラヌ(宿に居られぬ)、 リチャヨ(さあ行こうよ)、 ウチテリティ(打ち連れて) アンディ ワンラ(遊んで忘れよう)。
つまりこの歌詞の意味は、「愛しいひとよ、面影が立てば宿に居られぬ。 さあ行こう、打ち連れて遊んで忘れよう」である。
このように日本の方言の違いははげしい。そのためとても不便である。そこで、この不便を克服するために、学校教育で標準語を普及させている。標準語は東京のことばを基準にして、それをさらに洗練させたものである。その結果、現在では完全な標準語をしゃべる人は、もちろんわずかであるが、どの地方の人にも分かる共通語は、たいていの人がしゃべることができる。なお、日本語の方言の違いの激しさは、日本語が今日の日本語になるのに、悠久の歴史をたどってきたことによる。
4)階層による違い
日本語で階層による言語の違いがはげしかったのは、中世から近世で、貴族・武士・僧侶・町人・農民は、それぞれ別のことばをしゃべっていた。
なかでも武士のことばはもっとも特色があり、江戸時代に至っても、文語体を交えていた。語彙としては、「いかが」(=どう)、「さよう」(=そう)、「このたび」(=今度)とか、漢語の「今日」、「所望」、「持参」があり、動詞としては、「致す」(=する)、「参る」(=行く・来る)、「申す」(=言う)、「存ずる」(=思う・知る)、「ござる」(=ある)などがある。さらに、接頭語としては、「相」(例、相済まぬ)、「罷り」(罷りならぬ)を使っていた。
これらは、荘重語とよばれるもので、現在では、丁寧体の文に用いられる語とされている。当時、武士たちは、「さよう申さるるは、いかが致された?」というような、今日では尊敬をあらわす言葉とみなされる文を、普通体の文として使っていた。
5)仏教のことば
坊さんの唱える「般若心経」や「無量寿経」などのおきょうは、一般の人には、その意味がよく分からないが、仏教界で話されている言葉も独特のものである。たとえば、普通「サイケン」(再建)というところを、「サイコン」(寺院の再建)、「ジンチョウ」(=朝)、「ニチモツ」(=日没)、「ゴヤ」(=夜中すぎ)と言い、「利益」はリエキではなく、リヤクと読む。また、「女性」をジョセイではなくニョショウと読み、「殺生」をセッショウと読む。「オショウ」(和尚)も、宗派によっては「ワジョウ」と読み、その読み方にちがいがあり、仏教用語は、一種独特のものである。
6)男女による言葉の違い
古代には、男女によることばの違いは、あまりなかった。『源氏物語』でも男女による言葉の違いは、あまり見られない。大野晋氏によれば、『万葉集』では、男性が「言うな」というところを女性は、「な言ひそ」と言っている程度である。違いがはっきりしだしたのは、鎌倉時代で、男性が「候」をサウラウと言い、女性はサブラウと言った。今の代表的な女性の言い方、「―だわ」、「―てよ」は明治時代にはじまったものである。ただ、1945年の日本の敗戦まで、書き言葉は、男女の間でおおきく違っていた。たとえば、男性は、戦前、会社に「私は風邪のため、5月15日に会社を休ませていただきます。つきましては、その旨ご通知申し上げます」といった趣旨の欠勤届をだすのに漢字をいっぱい使っていた(私儀、五月十五日風邪之為欠勤仕候間、此段御届候也)*。これにたいして、女性の方は、漢字をできるだけ少なくし、行書体のかなを使っていたが、明治以後は、このような差も、すくなくなり、現在では、男女の差は、殆ど見られない。
*(sigi,gogatu zyugoniti
kaze-no tame kekkin tukamaturi sourou aida, konodan otodoke sourou nari)
それでも日本人には、男女の性別の違いによる言葉遣いの違いがわかる。それは、作家にとってとても便利である。だれが言った、だれが言った、といちいち書かなくてすむからである。佐藤愛子の『坊主のかんざし』のなかに、男と愛人の次のような対話が出てくる。さて、みなさんには、この10行のせりふのどれが男のことばで、どれが女のことばかお分かりでしょうか。
「あなた、あなたならどうする?」
「どうするって何がだね?」
「もしも、あなたの坊やが殺されたとしたら、やっぱり世間体を真先に考える?」
「バカなことを言うももんじゃないよ」
「そんな心配したことないの?」
「何の心配だ?」
「あたしが嫉妬に狂ってカーッとなるかもしれないって思ったことないの?」
「そんなこと思うわけないじゃないか。嫉妬に狂うとしたら、女房のほうだろう?ぼくがどんなに君を愛しているか、わかりきっていることじゃないか」
「ホントかしら。じゃあ、ミンクのコート買って」
7)日本語の丁寧体
日本語には、このほかに、官庁用語、文語体と口語体の違いなどがあるが、日本語独特のものとしては、丁寧体という文体の区別がある。
日本語には、口語の文体として、ダ体・デス体・デアル体・デアリマス体・デゴザイマス体と、五つのものがある。このうち、ダ体とデアル体は普通体で、デス体とデアリマス体は、丁寧体である。そしてゴザイマスは荘重体と呼ばれている。文語体では、ナリ体は普通体で、ソウロウ体は丁寧体であった。
この口語の丁寧体は、日本人の言語生活を多少とも複雑にしていることはいなめない。しかし、日本人はこの丁寧体のおかげで、助かっている面もある。というのは、日本語の動詞・形容詞の終止形と連体形は、同じ形であるため、「行く」とか「来る」という動詞が出てくると、一瞬、終止形か連体形か迷ってしまうが、「-マス」[接辞(接尾辞)]が接合されると、文の終止であることが分かる。この「-マス」は「-シマス」(動詞終止形)からきていて、それ自体が、終止形で、文の終止(концовка)を示す役目をするからである。
5.オノマトペ(擬態語、擬声語、擬音語)
1)オノマトペ。今度は、日本語の特殊性の一つとして、擬態語、擬声語、擬音語をとりあげることにする。もともと日本語は、とても素朴で自然的な言語である。色も橙色、朱色、空色、桃色などすべて自然物の色に由来している。赤も「明るい」からきており、青と藍は、おなじ語源の語である。このように日本語は、自然の具体的な事物にそくした言語であり、また感覚的な情緒的な言語でもある。
日本語にオノマトペが豊かなのは、日本語がとても具体的な事物にそくした言語であり、感覚的で情緒的な言語であることと無関係ではない。
オノマトぺとは、擬音語、擬声語, giongo,
giseigo‘Ономатопея – звукоподражание’のことであり、日本語では、さらに擬態語が加わる。擬音語, Giongoは、実際の音をまねて言葉としてあらわした語である。たとえば、小川が「サラサラ」と流れる、雨が「ザアザア」降っている、といった表現にみられる。擬声語, Giseigoも動物や人間の声をまねてことばとしてあらわした語である。たとえば、犬が「ワンワン」とほえているとか、ヒヨコが「ピヨピヨ」ないている、雲雀の「ピーチクピーチク」さえずる声がきこえる、子供たちが「キャキャ」言ってさわいでいる、といった表現にみられる語である。
実際の音をまねて表現するという点では、擬音語, giongoも擬声語, giseigoもかわりがない。しかし、これとは別に、聴覚以外の、視覚や触覚などによる感覚印象をあらわした語が擬態語, gitaigoである。たとえば、かれは「ニヤニヤ」笑っているとか、老人が「フラフラ」歩いている、船は「ユラユラ」揺れていた、太陽が「サンサン」と輝き、月が「コウコウ」と光をはなっていた、彼女は、「ガタガタ」ふるえだした、と言った表現にみられる語も擬態語である。
他方、窓は「ガタガタ」, gatagata音をたてていたという場合の「ガタガタ」の方は、聴覚によるもので、擬音語といえる。
さらに、動作者の心理状態をあらわしている擬態語としては、「見る」の場合には、チラット見る、ジッと見る、ジロジロ見る、シゲシゲと見る、と言う表現があり、「歩く」の場合には、テクテク歩く、スタスタ歩く、ブラブラ歩く、ヨチヨチ歩く、トボトボ歩く、シャナリシャナリ歩くと言う表現も見られる。
小川がサラサラ‘murmur’流れていたり、犬がワンワン‘bow-bow’とないている、というのは、欧米の言語にもあるが、日本語のオノマトペ‘ономатопея’は、この程度のものではない。とても豊かである。月はコウコウと輝くし、太陽はサンサンと照り、星はキラキラまばたく。彼の額からタラーと冷や汗がにじみでてくる。暑いのか、彼女はベットリ汗をかいている。雨はザーザー降るかと思えば、シトシトふるし、雪はシンシンと降っていたが、今はやんで、あたりはシーンと静まりかえっている、といったふうに例をあげるときりがない。
日本のマンガ雑誌には、オノマトペがあふれている。たとえば、ムム、タラー、タジタジ、グシャ、パシャ、ドシャ、グサッ、など感覚的な語で埋め尽くされている。オノマトペ以外の語が使われていないマンガも多々見られる。
何故日本語にはオノマトペが、これほどまでに多いのか。それはそもそもの日本語、たとえば、やまとことばは、具体的な自然の事物をあらわす語が多いのに、漢語が入ってきて、抽象的な表現が多くなった。それにたいする反発といえなくもない。それだけにオノマトペは、日本人にぴったりのことばといえるだろう。
しかし、このオノマトペのために、ラフカデイオ・ハーン*をはじめとして外国人が、日本語で書いた随筆や小説を外国語に翻訳するのに頭をなやましてきたこともたしかである。 *ラフカデイオ・ハーンlafcadio Hearn(1850~1904)、日本名、小泉八雲。
日本に関する英文の印象記・随筆・物語などを発表した。
日本人は、戦争中に焼夷弾が落ちていく音をシュルルと表現し、爆発音をズガーン・ズガーン、あるいはドカーンと書きあらわしていた。日本語では、このようなオノマトペは、いくらでも自由につくりだすことができる。たとえば、俳人の荻原井泉水は、「富士登山」という文章のなかで、日の出近くの東の空が赤くなり始めた様子を「カンガリ」と形容していた。かれはこれを「ホンノリ」よりは明るく、しかし「コンガリ」とちがって熱くない様子を表したものだと説明している。
このようにオノマトペは、じつにこまかい配慮のもとでつくられていて、おなじ「ころがる音」を形容する場合でもいろいろな言い方をすることができる。たとえば、
「コロコロ」-ころがり続けること。
「コロリ」-1回ころがって止まる様子。
「コロッ」-ころがりかける様子。
「コロリコロリ」-ころがっては止まり、ころがってはとまる様子。
「コロンコロン」-はずみをつけてころがっていく様子。
「コロリンコ」-1回ころがってはずみをもって止まり、あとは動きそうにもない様子。
このように、擬態語はつくるのが自由であるが、とてもきめ細かい配慮のもとでつくられていることも重要な特徴である。
*
擬声語・擬音語・擬態語例とその意味
(阿刀田稔子・星野和子『擬音語擬態語、使い方辞典第2版』、創拓社、1995年参照)
2)音感覚。どのような音が人間にどのような印象を与えるのかについてイスペルセン*が「言語」のなかで次のように述べている。
*Otto Jespersen(1860~1943)デンマークの言語学者・英語学者
[i]およびその系統の母音は、明るさを、そして[u]は暗さを表すのに用いられる傾向がある。たとえば、英語のgleam, glimmer, glitter は、明るさを表し、gloomは、暗さをあらわす。また母音[i]は、小さい、弱いものをあらわすのに適している。たとえば、英語のlittle,フランス語のpetitなど。また、英語のgl- は光を表す。たとえば、 gleam 。これは私の考えであるが、ロシア語のлу- なども、光に関係のある語に用いられる。たとえば。луна, луг, люминисцентная лампаなどである。
ところで、日本人は、母音にどのような感じをもっているのだろうか。仏文学者の
氏は、日本語の母音を比較して次のように述べている。
[ア]は、高く、大きく、
[イ]は、細く、鋭く、
[ウ]は、暗く、鈍く、
[エ]は、明るく、平たく、
[オ]は、円くて重い。
実際に[i]をもった拍ではじまる語は、量の小さいものをあらわし(chiisai-小さい、chikai-近い、hikui-ひくい、mijikai-短い)、[o]や[a]をもった拍ではじまる語は、量の大きなものをあらわす(ookii-大きい、to-i-遠い、takai-高い、nagai-長い)語が目立つ。
ところで、子音には、どのような感じがするのだろうか。「k」をともなう語は、乾いた感じ、[s]をともなう語は、快い、時には、湿った感じ、[t]をともなう語は、強く、男性的な感じ、(n)をともなう語は、粘る感じ、[h]をともなう語は、軽く、抵抗感のない感じ、[m]をともなう語は、まるく、女性的な感じ、[y]をともなう語は、柔らかく、弱い感じ、(w)をともなう語は、もろく、こわれやすい感じがするそうである。
ところで、日本語の子音からうける感じで重要なのは、清音と濁音からうける感じの違いである。清音の方は、小さく、きれいで、速い感じがする。ころころ:korokoroと言うと、ハスの葉の上を水玉がころがっていくときの形容となる。ところが、ごろごろ:gorogoroと言うと、大きく、遅く、荒い感じがする。たとえば、力士が土俵の上でころがる感じである。きらきら:kirakiraと言うと、星や宝石の輝きをあらわすが、ぎらぎら:giragiraと言うと、マムシの目玉が光っているときの形容になる。しかも、濁音ではじまる語は、どぶ:dobu、びり:biri、ごみ:gomi、げた:getaなど汚らしい語感のものが多いようである。
このように日本語の母音や子音の音から受ける感じは、もちろん、オノマトペにも反映しているものと思われる。
参考文献: 『NHK日本語なるほど塾』、2004年8月号
『日本語』新版(上)、金田一春彦著、岩波新書
6.日本語の論理
この講義ノートを終えるにあたって、日本語の特色のひとつとして、日本語の表現の仕方について述べておく。
日本人は、手紙の宛先をかくばあい、普通、大きなカテゴリーから小さなものへと順番に書いていく。たとえば、「日本、520-0016、滋賀県大津市比叡平1-9-8」と。この場合、欧米では、おそらく、‘1-9-8 Hieidaira, Otsu-shi,
Shiga-ken, 520-0016, Japan’ というように、小さいカテゴリーから大きなものへと逆に書いていくのが普通である。したがって、日本人が外国へ手紙を出す場合、自分の住所を、このように欧米風にわざわざ逆に書いて出す人が多かった。また、日本では、氏名も、山田(姓)太郎(名)と、まず姓を書き、次に名前を書くのが普通であるが、欧米では、‘John Smith’のように日本とは逆になるので、日本人がローマ字で書く場合、これまでは欧米のまねをして、‘Taro Yamada’というように、先ず名前を書いて、次に姓を書く人が多かった。
しかし、日本の国語研究機関では、最近、日本人が住所、氏名をローマ字で書く場合、日本語で書く順番でローマ字に転写して次のように書くよう提唱している‘Japan, 520-0016, Shiga-ken,
Otsu-shi, Hieidaira 1-9-8’, ‘YAMADA Taro’。日本語の表現の論理からすれば、当然である。なぜかと言えば、日本語には、おおきなものから順番に小さなものへと表現していく特徴があるからである。
「太平洋は波が高い」、とか「象は鼻が長い」といった文では、これまで、「は、「が」のどちらが主語であるかということが、もっぱら問題になっていた。もちろん、それも大切である。「は」は、テーマをあらわすので、「太平洋について言えば、波が高い」ということである。
しかし、それよりも、ここで日本語の特徴のひとつとして言いたいことは、これらの文では、「太平洋」とか「象」といった大きなものが最初にきて、つぎに「波」とか「鼻」といったより小さなものがその後にくる、という日本語の表現の論理である。(完)
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中西進 『ひらがなで読めばわかる日本語のふしぎ』、小学館、2003年7月.
74.
津田元一郎 『日本語はどこから来たか』、人文書院、2001年.
75.
渡辺実 『日本語史要説』、岩波書店、1997年.
76.
湯澤幸吉郎 『江戸言葉の研究』、東京・明治書院、昭和29年.
77.
馬渕和夫 『上代のことば』、至文堂、1968年.
78.
服部四郎 『日本語の系統』、岩波書店、1959年.
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